こんにちは AutoRocker KIYOです。
川口オートにて開催されたSG日本選手権は、地元の森且行選手の優勝で幕を閉じました。
芸能界からの転向して、デビューから23年の歳月をかけて日本一に輝くまでに幾多の試練がありました。
今回の振り返りは、森且行選手にスポットライトをあてて振り返りたいと思います。
日本一(優勝)までの道のり
森且行選手の戦った日本選手権は5日間すべて3着以内の好成績でした。
日本一を目指すまで、どんなレースだったかを振り返ります。
10月30日 8レース(一次予選)
スタートは4番手からでしたが、周回を重ねるごとに順位を上げていきます。
そして、5周目で先頭に立つとそのまま1着でゴールしました。
日本一を目指して幸先の良いスタートでした。
10月31日 11レース(特別予選)
スタートは鈴木圭一郎選手が先行して2番手に髙橋貢選手、森選手は3番手から始まります。
圭一郎選手が髙橋貢選手の攻めを凌いで1着、森選手は惜しくも3着でした。
11月1日 11レース(準々決勝戦)
森谷隼人選手のフライングで再発走となりましたが、スタートは木村武之選手の先行ではじまります。
森選手は2番手から木村選手を追う展開となります。
しかし、順位は最後まで変わらずにこのままゴールとなり、森選手は準決勝進出を決めました。
11月2日 10レース(準決勝戦)
雨上がりの斑走路でのこのレースは若井友和選手と加賀谷建明選手のフライングで再発走となりました。
スタートは金子大輔選手が先行して森且行選手が2番手で始まりますが、最初の2コーナーの立ち上がりで滑らせてしまい篠原陸選手と早川清太郎選手が後退してしまいます。
先頭を守る金子選手に森選手は果敢に攻めていきますが、滑りが最後まで響いたせいもありましたが森選手は2着で優勝戦進出を決めました。
11月3日 優勝戦
優勝戦は斑走路となりましたが、ほぼ乾いた走路状態でのレースとなりました。
スタートは鈴木圭一郎選手が先手を奪い、2番手に森且行選手が追う展開から始まります。
圭一郎選手はここからペースが上がらなくなってしまい、森選手や荒尾聡選手に攻められます。
5周目で荒尾選手が森選手も逆転して2番手に上がり、圭一郎選手を追いかけます。
6周目で荒尾選手が圭一郎選手を捕らえて先頭に上がろうとしたとき、接触により両者が落車してしまいます。
ここで、森選手が先頭に変わります。しかし、終盤で滑り出してきたところを金子大輔選手が2番手から攻めていきます。
最後は金子選手の追撃をかわして森選手が悲願の日本一(優勝)を勝ち取りました。
やっと果たせた「仲間」との約束
森且行選手は1996年5月までアイドルグループ「SMAP」のメンバーとして活躍していました。
オートレーサー25期を受験して合格して、グループを脱退する際に「日本一になる!」と誓って夢へ向かって前進しました。
「SMAP」には中居正広さん、木村拓哉さん、稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんの5人の「仲間」がいます。
彼ら「仲間」たちは、森選手の「日本一になる!」という約束をし、「仲間」たちは森選手の熱意に理解を示して送り出しました。
そして、森選手の「仲間」との約束を胸に訓練がはじまります。
選手養成所での訓練
1996年6月、森且行選手は選手養成所に入所して夢だったオートレーサーを目指して訓練が始まりました。
競争車の押し掛け始動、走行訓練と順調に進んでいた矢先に森選手にアクシデントが起こります。
走行練習中に落車してしまい、股関節脱臼骨折の大けがをしました。
それでも諦めることなく、訓練復帰してからも着実に技術を身に着けていき、1997年7月には同期より3ヶ月遅れでデビュー戦に向かいます。
デビューからの軌跡
1997年7月、デビュー戦に向かいます。
30,000人を超えるファンが見守る中でスタートを切りました。
結果は6周回逃げ切り1着でオートレーサー人生のスタートを切りました。
森選手の師匠はダート走路の時代からの実力者で「オートの神様」と呼ばれた広瀬登喜夫元選手です。
広瀬元選手もダート時代の日本選手権の初代優勝者です。
広瀬元選手は森選手に「2着は8着と同じだ!」と指導していました。
それは「どのレースでも1着を獲るつもりで行け!」という勝ちに拘る考え方であり、そのために整備に練習走行と日々努力していました。
その甲斐あってグレードレースでの優勝もしていきます。
2003年 GⅡ若獅子杯(山陽)
2008年 GⅡオーバルチャンピオンカップ(飯塚)
2009年 GⅠ開設記念グランプリレース(川口)
2013年 GⅠキューポラ杯(川口)
2014年 GⅡ川口記念(川口)
2017年 スーパースターシリーズ戦(川口)
そして2020年、ついにSG日本選手権を優勝を勝ち取りました。
川口行われるグレードレースはすべて優勝があるのは素晴らしいですね。
ついにその瞬間が…
アイドルグループを去るときに、「日本一になる!」と約束してから24年の歳月が過ぎましたが、森且行選手は何度もSGの優勝戦まで勝ち上がってきました。
しかし、その壁は高くそびえるものであり、なかなか優勝に手が届きません。
このまま「仲間」との「約束」を果たせないのか、そう思った今回の日本選手権で見事日本一(優勝)に輝きました。
悲願達成、おめでとうございます!
今回の報道で思うこと
今回の森且行選手の日本選手権優勝をメディアで多く取り上げられています。
私事ではありますが、ひとつ気になることがあります。
不快な思いをさせてしまいますが
まずは、私のツイートをご覧ください。
森且行選手の報道見て思ったこと
— AutoRocker KIYO (@autorocker_KIYO) November 3, 2020
「オートレーサー」なのに「元SMAP」って
違和感がある#オートレース#森且行
森且行選手を「オートレーサー」と呼ばないと
— AutoRocker KIYO (@autorocker_KIYO) November 4, 2020
オートレースを知ってもらう機会を奪うことになる
「元SMAP」を強調する必要はないと思うのだが・・・#オートレース #森且行 https://t.co/SioXrhhUOJ
テレビ番組で森且行選手を紹介するときは
— AutoRocker KIYO (@autorocker_KIYO) November 5, 2020
「オートレーサー森且行さん」でお願いします!
「元SMAPの森且行さん」では日本選手権オートレースで優勝したことが伝わりません!
元SMAPは職業じゃないんだから…#オートレース#森且行
この3つのツイートは何を言いたいかというと、メディアが取り上げた際に「元SMAP」を強調していたことです。
「仲間」もすでに「元SMAP」なんですけど…
ツイートのとおり、「元SMAP」を強調すると、今回の森選手の日本選手権優勝だけでなく、オートレースそのものを知ってもらう機会を奪われてしまいます。
これでは森且行選手はSMAPを脱退後、何をしているかが伝わって来ない気がします。
ちゃんと「オートレーサー 森且行選手」と伝えてくれた番組もありましたが、もう少し考えてほしいです。
森選手の前職を知らない世代が増えてきたのもわかりますが、わざわざ知らせる必要はないと思います。
オートレースを知らない方がたくさんいるのはわかっています。
オートレースを森選手を通じて知った方も多いこともわかっています。
森選手がオートレーサーであることを知ってもらわなければ、今回の日本選手権優勝を伝える意味がなくなってしまいます。
みなさんも「オートレーサー 森且行選手」を応援していただければ幸いです。
最後は少々不快な思いをさせるような内容で申し訳ありません。
以上、 AutoRocker KIYO でした。
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