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努力は人を裏切らない…坂井宏朱選手を偲ぶ

2020-01-15

こんにちは AutoRocker KIYOです。

船橋オートレース場があった2011年7 月、実に44年ぶりにデビューした女子オートレーサー「坂井宏朱選手」を覚えていますが?

あれから8年、短いオートレーサー人生を振り返っていきましょう。

すべてはここから始まった

2008年、SGスーパースター王座決定戦を観戦したときに、永井大介選手のレースを観た瞬間から坂井選手の人生が大きく変わったと言えます。

すでに30期から女子候補生の募集していたので、迷わずオートレーサーになると決意しました。

そして、31期候補生として女子では佐藤摩弥選手とともに養成所に入所しました。

訓練では相当苦労したそうですか、体力作りや整備、走行と努力を惜しまなかったそうです。

2011年3月、配属先が船橋に決まった矢先に東日本大震災が襲いかかりました。

約40日の中断もありましたが、最後まで諦めずに頑張り、養成所を卒業して選手になりました。

いよいよデビュー

坂井選手がオートレーサーを目指すきっかけになった永井大介選手が師匠となり、いよいよデビューです。

7月30日4レースがデビュー戦でした。1周目で追い付かれてそのまま後退して、8着というほろ苦いデビューとなりました。

デビュー戦の成績

永井選手の指導のもと、結果を出そうとするも大きい着が続いてしまいます。

デビューから5走目、生憎の雨となりましたがハンデ差を生かして逃げ粘って3着でした。

8月21日2レースは雨になってしまいましたが、スタートからゴールまでトップを譲らず、デビュー9走目で初勝利を飾りました。

初勝利の成績

その後も練習の成果が出ず苦戦が続きますが、永井選手の指導に応えようと頑張っていました。

運命の2012年1月15日

この日は1レースに出走しました。スタートから後ろを大きく引き離してトップを守ります。
しかし、残り2周で捕まり後退して6着となりました。

まさか、このレースがラストとなるとは…

すべてのレースが終了後、坂井選手は練習走行に出てきました。

走行中の車体に伝わる振動によってハンドルを取られて落車してしまいます。
そして、落車した競走車が…

激しい衝撃を受けた坂井選手は手当の甲斐もなく、 帰らぬ人となってしまいました。

この日のレースは今までとはどこかが違う、いや、何かが変わったように見えました。
そう思った矢先の不慮の事故でした。

大きな喪失感、そして立ち上がる

この事故がオートレース界全体に大きな衝撃をもたらしました。これから成長していくであろう一人の新人選手を失ってしまったことは、同期全員、JKA関係者、応援しているファンにとって計り知れない悲しみに包まれました。

特に、師匠の永井大介選手と同期生の佐藤摩弥選手、青山周平選手、平塚雅樹選手、古木賢選手、
岩田裕臣選手、小原望選手、中山透選手、辰巳裕樹選手、藤波直也選手、渡邉篤選手、
鐘ヶ江将平選手、中尾貴志選手、森本優祐選手、春本綾斗選手、丸山智史選手、矢野正剛選手、
大月渉選手、木村享平選手、栗原俊介選手にとっては辛く受け入れ難い現実だったと思います。

この悲しみを乗り越えて、優勝を目指す戦いはここから始まります。

翌16日、飯塚オートで優勝戦が行なわれ、中尾貴志選手が初優勝で坂井選手に報いることができました。

さらに翌17日は、船橋オートで青山選手と永井選手の「同期の絆」と「師弟の絆」がぶつかり合う優勝戦が行なわれました。

青山選手が逃げ、永井選手が追う展開でしたが、最後までにげ切った青山選手が優勝を決めました。

結果として「同期の絆」が強かったことを証明しました。

当時の31期は2級車です

その後、青山選手はSGなどのタイトルを次々と獲得していき、トップレーサーになりました。

また、佐藤選手もスーパースター王座決定戦で男子選手と互角に戦えるまでになりました。

結果が伴わなくても、努力を惜しまなかった坂井選手のひたむきな姿勢を見てきたからだと思います。

女子オートレーサーの未来

現在、女子選手は16人いますが、デビュー当時は相当苦労していました。

ひとつ勝つために、整備や練習を数多くこなして日々精進しています。

それは、坂井選手も同じでした。

課題を克服して明日に繋げていけば、大舞台での活躍も近いでしょう。

そのロールモデルが佐藤摩弥選手や、昨年のスーパースターガールズ王座決定戦を制した片野利沙選手です。

まもなく、35期生の養成が始まります。女性の候補生は何人入るかはわかりませんが、この中からSGレースで大活躍しそうな逸材は必ずいます。

デビュー直後は壁にぶつかることが多いですか、どうか温かい見守ってあげてください下さい。

オートレーサーになりたい女性へ

生前の坂井選手のオートレースと向き合う姿勢は、見習うべきだと思います。

どんなに結果が出なくても、いつかは答えが出るときは必ず来ます。「努力は人を裏切らない」とは、このことです。

人は壁にぶつかっても、いつかは乗り越えられます。

挑戦したい方はぜひ、目指してみてください。

生涯成績
1着 1回
2着 0回
3着 2回
着外19回

改めて、坂井宏朱選手のご冥福をお祈りいたします。

以上、 AutoRocker KIYO でした。

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